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緊急アピールとは何か? 誰が原因を作ったか?

緊急アピールとは何か? 誰が原因を作ったか?
 今、ブログを作って、もう一回青い芝の意味は何かな?と思って、別の障害者の考えをインターネットで検索しても、77年からの一年四カ月の事は何も出てこない。9月の緊急アピールだけ。いっこも経過を書いていない。何であんな文章が出たのか?誰も知らん。私から話をしなかったら、闇の中に消える。消えてもエエと思ってもちょっとくやしい。   77年10月から一年間、何回も話し合いをして、バラ計画、大阪の障害者運動の体制をもう一回作り直す。もう一つはネットワーク。私が責任者(便利屋)になって、みんな嫌がっていた。話し合いも嫌がっていた。「本部が相手やとやりにくい」。何でかと言うと私は言語障害者があって30分~一時間話してもみんな意味がわからない。私は当時は大阪青い芝の会副会長(名前だけ。便利屋。)
なんで緊急アピールが出たか?77年10月の終わりにゴリラ、青い芝、リボン社で緊急アピールの文章を作ったと言っても、一部の人間(リボン社が中心)が作った。障害者運動から差別問題が出たら困る(ゴリラによる障害者へのランク付け)。ゴリラが解散する際、まだ格好ええと思ってあんな文章を作ったのです。何でここまで私が言えるか?ランク付けされ差別された障害者だからです。理由は言葉がわかりにくい、文章も出なくて単語だけ、まだまだ運動もわからへん。運動をやろうと思ったらお金がいる。一カ月に一度、外に行くんやったら親に貰えるお金は千円で十分(現在の三千円くらい)。私の性格も悪いけど、あるゴリラ(糸原さん)から「本部は遊び半分で青い芝に入って、女の子目当て」といわれ腹が立った。ハッキリ言うて青い芝に入って一、二カ月で何がわかるのか?私も会議があったら行こうと思ってお金の枠の中でやってきた。食べ物は一日におにぎり一個。会議の時は大きい瓶のコーラを買って来た。今は会議と言ってもエネルギーはいらん。障害者は聞いているだけ。昔は障害者が話をせなアカン。こんな生活をしていて、一カ月五千円も消える。
私は映画も喫茶店も行っていない。一月三十日に入会して、五月になって、ホンマに困った。夏のキャンプの参加費四千円。この四か月間青い芝への借金も増えて、困って親に相談したら「キャンプ辞めたらええ話や!」。私は「キャンプの実行委員になったから辞められへん、お金を四千円アップして下さい」と言うても「無理です、年金の半分を使っている。こんな事がわからへんかったら、家におったらええ!」。一~二時間話して結果も無い。親はハンコと手帳を丸机に置いて「もう勝手にしぃ」と言いお金はくれなかった。「自分の考えでやったらええ」と親は思っていた。「わからんようになったら、家に帰ってくる」と思っていたと思う。
私は根性あって自分で勝手に周りの話を聞いて、別の障害者と同居している事にして住民票を枚方に移し、生活保護の手続きをして、三~四万貰って運動をした。これを見た東部ゴリラが怒って質問状を書いた。内容の一つ目は「本部は運動を使って遊んでいる。」二つ目は「家も決めずに、事務所をぶらぶらしている。」三つ目は「何を考えているのかわからない。」四つ目は「全然自立に対する考えを持っていない。」これを東部青い芝に質問状として持っていった。大阪青い芝にも持っていって、結果は同じ。東部も大阪も責任者は同じ。「もっと親と話をしなさい。」と言われた。私はこれをある女性障害者に持って行って相談した。その結果、女性障害者が「障害者をバカにしている」と怒り、関西青い芝に文書を持っていった。そして緊急アピールに繋がった。
生活保護を取ってぶらぶらしている、というけど私はぶらぶらしていない。毎日会議ばっかりやっていた。母子センター反対運動、大阪青い芝の例会、関西青い芝の例会、東部青い芝の例会、他にカンパ活動もやっていて遊ぶ暇などなかった。朝から晩まで会議ばっかりで4~5万お金がいる。服も買えない。音楽も聞く暇も無い。風呂入る時間も無い。その中で運動をやっていた。文章が出てからは会議が三倍になった。文化住宅は借りてても帰る時間は同じ。一週間の半分も家に帰らない。電車も無くなる。私に責任があってもこれが昔の運動やと思う。
私みたいな重度障害者は学校に行ってないから、字もわからない。話も下手。おまけに頑固。決めた事は辞めない。もう一つは負けず嫌い。青い芝におった四年間は、会議ばっかり。夏はキャンプの他に東京も行って、抗議行動やっても意味がわからない。難しい文章ばっかり。私は目と耳で覚えている。だから10倍遅れている。文章がわかったら早い。でも、これも私の運命やと思ってやってきたけど、会議になったら、嫌な事があったら、全部副会長(私)が悪いと言われた。意見を言っても怒られ、言わなくても怒られた。私は77年を絶対に忘れない!悔しさが大きくなった。こんな事を今言うても愚痴になる。でも昔の話でも、何人もの仲間が、ゴリラとリボン社によるランク付けの壁で自立を辞めている。完璧な障害者でなければ自立は出来なかった。健全者に「OK」と言われる障害者だけが自立出来た。
これが緊急アピールの本当の中身です。
H23.11.20 本部富生
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プロフィール

妖怪人間ミオ

Author:妖怪人間ミオ
大阪青い芝の会 副会長

1951年 大阪寝屋川市に生まれる。
1977年1月 大阪青い芝の会に入会。
同年5月 親元を離れる
1978年1月 自立生活を開始
同年年5月 大阪青い芝の会副会長に就任
1982年4月 大阪青い芝の会除名
同年10月 枚方障害者労働センター設立
1997年 枚方障害者労働センターを退職
2011年 自立生活33年を迎える。
2012年 10月30日 永眠

「昔の青い芝の運動で、今の専門書には書かれていない事、知ってほしい事を中心に書いていきます。青い芝の運動の渦中にいた障害者からの証言です。
これからの若い障害者はもっと本音で生きてほしいなぁ。」

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